歴史
羽浦神社についてAbout
社名
式内社 |
和耶神社・和奈佐意富曽神社 |
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村社 |
八幡神社・国中神社 |
無格社 |
春日神社・地神社・事代主神社・野神社・天神社貴船神社・高田神社・厳島神社・住吉神社・野神社・八坂神社・住吉神社・宇多神社・大山積神社・八坂神社・今宮八幡神社・吉野神社・稲倉神社・地神社 |
御祭神
主神 |
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合祀 |
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祭礼
式内社 |
歳旦祭・和耶祭・夏越の祓・夏祭・秋の大祭・大祓・月並祭 |
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由来
古文書及び社伝によれば天正年間(1573~1592)阿波の国主蜂須賀家政公により、国内平穏や家運長久、御鷹狩祈願のため、当社に参拝し、拳正寺をして八幡宮の別当職たらしめ、当社の社殿を再建するとあります。また、慶長8年(1603)には国主蜂須賀家政公御成りの蜂須賀家代々の祈願所に指定された歴史を持ちます。明治43年には、中庄村、宮倉村に祀られていた和耶神社等23社を村社八幡神社に合祀して、羽浦神社と改称し、羽ノ浦の里の総氏神さんとして親しまれ、地域守り神として、また精神共同体の中心として、人々の崇敬殊の外厚く昭和12年郷社に昇格して現在に至る。八幡神社は、天正年間(1586頃)阿波蜂須賀家政公が国内平穏、家運長久、鷹狩り安全のため参拝され、慶長8年(1603年)蜂須賀至鎮公が蜂須賀家代々の祈願書と指定された。その後蜂須賀光隆公が祈願された際、社紋に鷹羽ねの打ち違えを用いるように仰せられ、爾来国主領主が祈願された。和耶神社は、式内社とよばれ、後醍醐皇時代、延喜式(西暦905年編纂開始)の神名帳に搭載され、由緒等最も古く、当時、朝廷を始め国家から尊崇すこぶる篤く毎年祈年祭に国司の奉幣にあずかる歴史のある名社です。御祭神は諸厄・諸災難除けの守護神とされている。