式内社 羽浦神社

明治43年中庄村、宮倉村に祀られていた和耶神社等23社を村社八幡神社に合祀して、羽浦神社と改称し、羽ノ浦の里の総氏神さんとして親しまれ、地域守り神として、また精神共同体の中心として、人々の崇敬殊の外厚く昭和12年郷社に昇格して現在に至る。八幡神社は、天正年間(1586頃)阿波蜂須賀家政公が国内平穏、家運長久、鷹狩り安全のため参拝され、慶長8年(1603年)蜂須賀至鎮公が蜂須賀家代々の祈願書と指定された。その後蜂須賀光隆公が祈願された際、社紋に鷹羽ねの打ち違えを用いるように仰せられ、爾来国主領主が祈願された。

和耶神社は、式内社とよばれ、後醍醐皇時代、延喜式(西暦905年編纂開始)の神名帳に搭載され、由緒等最も古く、当時、朝廷を始め国家から尊崇すこぶる篤く毎年祈年祭に国司の奉幣にあずかる歴史のある名社です。御祭神は諸厄・諸災難除けの守護神とされている。

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